Spiritual Lesson

スピリチュアリズムの学び

自殺する位なら生きていたほうが幸せな理由

 

こんにちは。

 

多くの場合自殺は衝動的に行われるように思います。

そのためか。
死者との交信記録を見ていると、「こんなことなら生きていたほうがマシだった! 取り返しのつかないことをしてしまった!」とひどく後悔する霊たち(の告白)の多いこと。

 

死者たちの話から自死後の様子は、例えば、遊園地のアトラクションの『恐怖の館』に24時間、しかも何年もの間ずっと閉じ込められているといったものに近いイメージがあります。

 

出たくても出られない。
死にたくてももう死ねない。
しかも、どこからともなく恐ろしい形相をした「お化け」や「怪物」が現れ、襲いかかってくるかもわからないのです。

 

また別の不快感とは、霊体が自分の死体から抜け出せないため、まるで狭い棺の中で身動きがとれないままもがき続けるしかないような、そんな苦痛を味わう、というパターンだそうです自死した霊との交信記録から)




ではどうすればそこから救われるのか?

1. スピリチュアリズムの知識があること(つまり、抜け出しかた=成仏の仕方がわかる)
2. 身近な人たちが祈ってくれること(これは間接的に善霊たちに助けを求めるのと一緒)
3. 自分の愚行を反省し、自分から進んで "神" に助けを求めること

 

私が知っているのはこの3パターンです。



また自殺でも、あっさりと救われるケースもあるそうです。
それはご本人が、

 

 自分でやれることはすべてやりつくし、
 それでもどうにも救われようがなく、
 またその死が誰かを苦しめるものではない場合、

 

だそうです。
が、それでもしばらくの間、霊体と肉体の分離が終るまでの苦痛だけは耐えなければならないようです。

 

それだけ、自死の功罪は深刻で、重いのです。

(病気や寿命といった自然死の場合は、肉体の死の前から時間をかけて少しずつ少しずつ、霊体と肉体が離れていって、最後は一瞬で分離できるので苦痛は一切なく、すぐに昇天できます)




もちろんこうしたことは死んでみなければわからないことです。
でも一度死んで、(元の自分のままで)戻ってきた人はいません。

そこで私はこう思います。「ならばなおのこと、後で後悔しないようにしよう」と。




先にも書きましたが、多くの場合、自死は発作的衝動的に行われます。

ですから、いざ事が終ったのち、ようやく、してしまった事の深刻さに気づいてパニックを起こす、といったケース(報告例)のなんて多いこと。




どうぞ、生きてください。

 

今は苦しくても、生きていればいつか必ず、平和も喜びも愛もあなたの元へと訪れます。
幸福な時が続かないように、不幸な時も永遠には続かないものです。

 

これまでを振り返ってみても、いいこととそうでないこと、その繰り返しではありませんでしたか?

 

それに、もう、死んでしまうよりほかに、これっぽっちも、この苦痛から抜け出せそうな方法はありませんか?

 

精一杯、生ききりましたか?
我慢以外に、解決につながる努力をされましたか?
自分を苦しめるものと正面から対峙し、闘おうとされましたか?

 

「全力で生きました」と、神さまの前であっても、正々堂々と胸を張って断言できますか?




誰でもいいです。
誰かを探して、その人に助けを求めてみてください。
たわいないおしゃべりをするだけでもいいと思います。

余程の理由でもない限り、自分に助けを求めてきた相手をバカにしたり見てみぬふりをする人など、私はいないと思いますし、そこまでこの世界が地獄だとも思いません。

 

私自身も何度もそうやって、”よく知らない” 人たちの力を借りて、そこから抜け出せました。



酷なことをいうと、自分の問題だから、最後は自分で後始末をするしかありません。
そこは、期待(依存)してはならないと思います。

 

ただ、死にたくなるほど気力や体力がなくなって参っている間は、自分の力だけで動くのは、本当にしんどいし難しくなります。
もちろん、最善な判断や行動もできません。

ですので、そういう場合は自分でなんとかしようとしないで、「普通に」生活を送れているような、心身にゆとりのある誰かに声をかけ、お力を借りましょう。

 

乗り越えたあと、お返し(お礼)をすればいいのですから。



 

止まない雨はありません。

あなたの心が、一日も早く、明るく晴れますように。

 

 

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