Spiritual Lesson

スピリチュアリズムの学び

スピリチュアリズムの観点から『人はどう生きるべきか?』



※去年の8月から公開していた過去記事です


こんにちは。

浄化とリセット、再スタートのためのワークが続いています。


今回も、こちらのご本からお借りします。
(残念ながら絶版になった模様です)

天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」

(※ この本の出版元は著名な宗教団体の系列会社です。価値ある素晴らしい内容なのにこの点は残念でなりません)



お孫さんからよびだされた霊が、「神/真理の前では、どういう人を "ただしい生きかたをしている" というのか?」について、語ってくれています。


スピリチュアリズムを完璧に実践していくのは、今の私には無理、至難の業です。
けれど、その道筋を辿る努力をし続けることだけはできますし、そうすればいつか必ず、それに見合った結果がついてくる気がしています。


先の、成り行きは「神」のみぞ知る。
大切なのは、そこにたどり着くまでの、プロセス。

何をしたか? どんな心で何をしながら過ごしていたか?

一瞬一瞬が、やり直しの効かないテスト。


そして、人生におけるあらゆる苦しみや試練は、過去生のカルマを解消し、自分の魂を高めてくれる、かけがえのないもの。



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ジョゼフ・プレ ー 孫娘に招霊された男性


「おじいちゃん、こんにちは。
霊界ではどんな生活をしていますか?
それから私たちが向上するためにどうすれば良いのか、教えてください」


「知りたいことは何でも教えてあげよう。

今私は地上時代の信仰不足をこちらで償っているのだが、神様は本当に良いお方だ。
わたしが置かれていた境遇を十分に考慮してくださる。


今、わたしは苦しんでいる。
とは言っても、お前たちの苦しみとは異なるが。

地上にいる間、時間を有効に使わなかったことを悔やんでいるのだ。




「時間を有効に使わなかったってどういうことですか? おじいちゃんはずっと正しく生きていたではありませんか?」


そう、人間の目から見て「正しい」と思われる生き方はした。

だがな、人間の目から見て正当なのと、神さまから見て正当なのとでは、雲泥の差があるのだ。


良いか、しっかり聞きなさい。これからその違いを説明してあげよう。



人間界では法律をしっかり守れば正当な生き方だとされる。

「人の財産を奪う」というような悪事を働かなければ、一応は正しい人間とされるのだ。

ところが人間というものは、他人の名誉や幸せを奪っておきながら、それを自覚せずに平然としていることがしばしばある。
しかも、そうしたことは法律でも世論でも罰せられない。


死んだ時、墓石に長々と生前の徳行を書き連ねることができれば、『地上生活での “借金” は全部返せた』と思うのが普通だ。

けれどもこれが違うのだ。


神の前で正しくあるためには、『人間の法律を破らなかった』というだけでは十分ではないのだ。
何よりも、まず、神の法にそむかないようにしなければならない。



『神の前で正当とされる人間』とは、どんな人間であるか。

それは、愛を込めて人々にひたすら尽くし、善のために全生涯を使い、同胞の進歩のためにすべてを捧げた人間のことだ。


正しい目的を追求せんとする情熱に満たされ、生き生きと、人生を送る者のことだ。
自らに課せられた物質世界での仕事をしっかりと果たす者のことでもある。


というのも、同胞たちに、仕事への愛を教える必要があるからなのだ。
しかも、よき仕事を一生懸命にやる必要がある。
というのも、やがては神様から、『自分の時間をどう使ったか、報告せよ』と言われるからなのだ。



正しい目的をしっかり追求せねばならない。
というのも、神への愛と、隣人への愛を、身をもって示さねばならないからである。


神から見て『正しい』とされる人間になるためには、辛辣な言葉を避けなければならない。

辛辣な言葉には毒が含まれているために、相手を傷つけるし、また、しばしば、正しい人間を物笑いの種にしてしまうことがあるからだ。


神から見て正しい人間とは、心の中に、傲慢、嫉妬、野心の、どんな小さな種子も持っていない人間のことなのだ。


自分を攻撃してくる人間に対して、忍耐強く、優しくあらねばならない。

自分を侮辱した者を、努力することなしに、心の底から許さねばならない。
しかも、それを決して見せびらかしてはならない。

さらに、あらゆる人間を愛し、そのことを通じて神を愛さなければならない。



つまり、人間の義務に関する次の、極めて簡潔で、極めて偉大な決まりを守るということなのだ。


「すべてにまして神を愛し、また隣人を、自らのごとくに愛すること」

以上が、神の前で『正しい』とされる人間なのだ。



では私は、それらをすべて行ったであろうか?
とんでもない! わたしはこれらの条件の多くを果たさなかった。



ここで正直に告白しておこう。

わたしは、人間として当然果たさねばならぬ事を果たさなかった。
神を忘れることで、神の法も忘れたのだ。
人間の法律を犯すことはなかったが、だからといって、神の法を守らなかった罪を逃れることはできない。


そのことを知った時、わたしは随分苦しんだが、いまは希望を持って生きている。
わたしの悔い改めをご覧になった神様のご慈悲におすがりしているわけだ。



良いか。

わたしが今日話したことを、良心が麻痺している人々に、何度でも繰り返し教えてあげなさい。

彼らが自らの過ちを善行によって覆い尽くせるよう、助けてあげてほしい。

そうすれば、神様は優しい眼差しで、彼らが行ったつぐないの数だけを数えて評価してくださる。
そして、その陰に隠されている過ちは見ないふりをするだけではなく、慈悲に溢れた御手でそっと消し去ってくださるのだ。




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