この世の善人は必ずしもあの世の善人ではない。
こんにちは。
内省と浄化タイムは続きます。
今回も自分自身への戒めとしての写し書きと備忘録を兼ねた投稿になります。
こちらのご本からお借りしています。
(残念ながら絶版になった模様です)
天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」
(※ この本の出版元は著名な宗教団体の系列会社です。価値ある素晴らしい内容なのにこの点は残念でなりません)
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アンナ・ベルヴィル霊の告白
私が地上で暮らしていた時、人々は私を「善人だ」と思っていました。
が、実際には、私は何よりもまず自分の快適さを考える人間だったのです。
生まれつき人を思いやる心は持っていました。
けれども、可哀想な人を助けるために自分の生活を犠牲にするというところまではいきませんでした。
今では私もだいぶ変わりました。
相変わらず私は私ですが、もうかつての自分ではありません。
というのも、次のことが分かったからです。
それは、『見えない世界においては、精神性の高さ以外に、価値を測る物差しはない』ということです。
したがって、お金持ちだけれども傲慢な人より、貧乏だけれども思いやりのある善人の方が、その境涯(霊界での居場所)ははるかに高いのです。
(交信の終わりに告げられた、カルデック氏の背後霊の一人である聖ルイ霊からのメッセージ)
エゴイズムは、地上では多くの喜びをもたらすでしょう。
しかし、それを霊界に持ち帰った時、真の悪魔としてその人につきまとい、心を責めさいなむのです。
アンジェル 全く意味のない人生を送った女性
(※ 交霊会で、地上時代はアンジェルという名で暮らしていた女性が現れます。 そしてこの時の霊媒の指導霊が、生前のアンジェル霊について語ります)
アンジェルは自主性を持たなかったため、自分自身に対しても、また他者に対しても、意味のない人生を送った人間の霊です。
どうでも良い快楽に心を奪われ、根気よく学ぶことをせず、家族に対する義務と社会に対する義務を全く果たしませんでした。
義務を果たすことによってはじめて、人間の心は、人生に魅力を見出すことが可能となるにも関わらず、です。
義務というのは、どんな年齢になっても見出すことができます。
若い時、彼女は意味のない気晴らしをしては、いたずらに時を過ごしました。
結婚して、真面目に義務を果たさなければならなくなったのに、彼女の周りには空虚な世界が広がっていました。
それは、彼女の心が空虚だったからなのです。
特に重大な過失はありませんでした。
が、これといって特に取り立てるべき点もなく、夫を不幸にし、子供たちの未来を台無しにしました。
そして投げやりと無気力のために、子供たちが快適に暮らす権利を損ないました。
第一に、自分自身のダメな姿を見せることで、第二に、女中に彼らの世話を任せきりにすることで、子供たちの判断力と心を狂わせたのです。
しかも自分自身で女中を選ぶことさえしませんでした。
彼女は、価値のあることをしないことによって、罪を犯したのです。
というのも、悪は善を行わないことによっても発生する からです。
悪は、善を行わないだけでは十分ではない ということを知っておいてください。
それとは逆に、期待されている徳を実践して、積極的に善を行う必要もあるのです。
神が何を望んでおられるのかを、よく考えてください。
悪の道への入り口で立ち止まることだけではなくて、そこから引き返し、積極的に善の道を進んでいくことを、神は望んでおられるのです。
悪と善は対立するものです。
ですから、悪を避けたいと思うなら、それとは反対の善の道に入り、しかもその道を前進する必要があるのです。
そうでなければ、人生は無意味なものになります。
その場合、死んでいるのも同然です。